2014年05月28日
納車
AYUMIです(*´∀`*)
ずーっと待ちに待ってた
私の車がやって参りました
10年ぶりくらいの自分の車
中免も持ってるので
バイク買おうか迷ったんだけど
やっぱりサバゲするなら車かなと。
誕生日には間に合わなかったけど、
嬉しくてずっと車内にいますw
これでいつでもサバゲに行けるようになったおヽ(*´∀`)/
ずーっと待ちに待ってた
私の車がやって参りました
10年ぶりくらいの自分の車
中免も持ってるので
バイク買おうか迷ったんだけど
やっぱりサバゲするなら車かなと。
誕生日には間に合わなかったけど、
嬉しくてずっと車内にいますw
これでいつでもサバゲに行けるようになったおヽ(*´∀`)/
2014年05月21日
みちはぐるぐる。
どこへ行こうかな。
あてもなくふらふらと、
その日その場所、その瞬間に、
食べたくなったら食べ、
眠くなったら眠り、
歩きたくなったら歩き、
休みたければ休む。
本当なら、
そんな旅がしてみたかった。
考えてみればあたしは昔から
理由や目的もなく何かをすることができなくて、
いざどこかに出かけようと思っても、
目的地やそこに行く理由がなければ
動けなくなってしまう性格だった。
これは生活や仕事にも反映されていて、
ひいてはあたし自身の人生にも影響されている。
改めてそんな自分の性格に気付かされながら、
一人向かったのは東北、みちのくは岩手だった。
もう10年以上も前になるけど、
あたしは岩手の盛岡に住んでいたことがあって、
何を隠そうその当時、サーフィンをしていた。
盛岡は内陸なので、
太平洋側に出るには峠を二つ越えなければならない。
昨年のあまちゃんで舞台となっていた
三陸の久慈市まで、
最低でも車で2時間はかかる片道。
定時制の高校に通っていたあたしは、
毎週末これを欠かしたことはなかった。
夏はもちろん、雪の降る真冬でも、
ツルツルに凍った峠道を
通行止めなどの規制がかからない限り通っていた。
サーフィンが楽しかったのはもちろんのこと、
ローカルのサーファー仲間もできて
彼らに会いに行くと言うモチベーションが
毎週末のロングドライブも可能にしていた。
あたしの大切な青春の1つでもある。
2011年3月11日。
日本史上歴史に残る未曽有の大災害があったとき、
あたしは自分のお店や仕事でいっぱいいっぱいだった、
と言う体のいい言い訳で見て見ぬフリをし、
ボランティアで人手を必要としていたのを
ネットで見て知っていたにも関わらず、
ずっと、ずっと行く事ができなかった。
目の前の人も幸せにできない人間が
1人で行ったところで何ができる?
自分のことさえ何もできていない人間が
1人で行ったところで何ができる?
「繋がろう日本」なんて
誰かを助けることで自分の心を満たそうとする
ネット上で偉そうに宣う声。
押し付けがましいエゴみたいなもの全てに
共感どころか嫌悪感さえ抱いていた。
でも本当のところは、
自分の目で被災地を見ることが、
単純に怖かっただけなのかもしれない。
記憶の中で変わらずにあるあの風景が、
どんな被害を受け、変わってしまったか。
想像するだけで吐き気がした。
連日のテレビやニュースで知らされる
どんな恐怖映画よりも恐ろしい映像から、
目を背けることでしか自分を保つことができなかった。
それでもいつも心の片隅には北三陸の海があって、
そのわずかな引っかかりが
途方もない自己嫌悪と身勝手なストレスで
自分の首をジワジワと真綿を絞めるように苦しめていた。
心臓のような都会の大動脈から、
新幹線で盛岡まで2時間30分。
毛細血管の先の先へ、
盛岡から沿岸まで車で2時間。
宮古から久慈までの海岸線を
友達の運転でぐるっと回る。
曇り空から時折晴れ間が見えるくらい風が強く、
分厚い雲が流動的に絶えず変化していた。
10年ぶりのそこは色んなものが変わっていて、
でも見方によっては
最初からそうだったようにも見えるので、
何が、どう、と説明することも難しいくらいだった。
それでも当時の記憶と照らし合わせながら
答え合わせをするように一つ一つを確かめて、
しっかりと目に焼き付けたかった。
ところどころ爪痕を感じる箇所もあり、
防波堤が壊れたままになっている場所や、
野ざらしになってしまった広大な土地。
工事車両が多く、通行止めになっていたり、
回り道を余儀なくされるような場所もあった。
だけどそれ以外は、
想像していたよりも普通だった。
いや、その「普通」になるまでの苦労や、
まだまだその「普通」になれていない被災地があること、
不謹慎であろうことは承知の上で書きます。
そのとき一番思ったのは、人間の逞しさや強さ。
そして自然の雄大さ。
それを改めて感じた。
たった3年でここまでなるんだと思った。
あたしなんかが心配しているよりも、
ずっとずっと逞しく人は生きていた。
「この辺はようやく瓦礫が撤去されたから
それだけでだいぶ見栄えは変わったんだ。」
そう言いながら車を走らせてくれた友達。
瞬間的なものなのかもしれない。
今だけの感情なのかもしれない。
それでも色んな想いが交差しながら、
思考はぐるぐる、気がつけば一周して
当時否定していたことまで肯定したくなるような
不思議な感情が心の中で芽生えた。
”天地は一つ
故に我は無限”
自然に人は勝てない、なんてよく人は言うけど、
自然はそもそも人に勝とうとも負けようとも
そんなことは考えるはずもなく、
ただ、そこに、悠然として存在している。
言葉にすることはとても難しいけど、
海、空、空気、山、人、動物、虫、車、家、
瞬間的に全てが奇跡のバランスで成り立っていて、
その圧倒的なパワーを前に自分の矮小さを悟り、
人は人として、人の側にいることで
初めて人としての存在意義を見いだし、
そして人を全うするのだと思う。
どんなときも、
仮に分かり合えない存在同士だとしても、
人は人の側にいなければいけないんだ。
そこから逃げることは、
人を、自分を否定することに繋がり、
ひいては存在する全てを否定することになるんだ。
人は一人になんかなれない。
一人になるときは死ぬときだけだ。
いや、例え死んだとしても、
還って行くところは1つだけなんだ。
思考も感情も欲望も、
善も悪も正義も不義も、
全ては表裏一体。
ぐるっと一回りしてみたら、
それらは全て一つなんだ。
怒りも悲しみも喜びも楽しみも、
ぐるぐる一つの円を周り続けているだけの
たったそれだけのことなんだ。
今のあたしの悩みも苦しみも、
全ては喜びや幸せと同じ円の中にあって、
だからこそそれは、
「答え」なんかを求めるものではなくて
それはそれとして受け入れるしかないんだ。
今のあたしなら、
きっと当時「繋がろう」と声高に叫んでいた
エゴの固まりみたいな人間の気持ちも分かる気がする。
あのとき、
あたしに憤りを感じたあの人の気持ちも。
全てが、全てに、
感謝の気持ちを。
気がついてみれば、
こんなに簡単なことだったんだなぁ。。
あたしの為に集まってくれた仲間と
久しぶりに朝まで飲み明かしたり、
親戚の家に泊まり祖母のお墓参りをしたり、
ウニ丼をたらふく食べたり、
懐かしい田舎の空気にすっかり酔っ払ってしまった。
二日酔いで頭がぐるぐる回っているけど、
そろそろ帰ろう。
短かったけど、
やっぱり来てよかった。
いつかまた自分を見失いそうになったときは、
何度でもここに戻って来ればいい。
それまでは大切な人からもらった言葉を胸に、
しっかりと歩いて行こう。
なんかケータイがよく鳴るなと思っていたけど、
気がついてみれば今日はあたしの誕生日だった。
「自分の大切な人生を
しっかりと生きてほしいと願っています。」
あてもなくふらふらと、
その日その場所、その瞬間に、
食べたくなったら食べ、
眠くなったら眠り、
歩きたくなったら歩き、
休みたければ休む。
本当なら、
そんな旅がしてみたかった。
考えてみればあたしは昔から
理由や目的もなく何かをすることができなくて、
いざどこかに出かけようと思っても、
目的地やそこに行く理由がなければ
動けなくなってしまう性格だった。
これは生活や仕事にも反映されていて、
ひいてはあたし自身の人生にも影響されている。
改めてそんな自分の性格に気付かされながら、
一人向かったのは東北、みちのくは岩手だった。
もう10年以上も前になるけど、
あたしは岩手の盛岡に住んでいたことがあって、
何を隠そうその当時、サーフィンをしていた。
盛岡は内陸なので、
太平洋側に出るには峠を二つ越えなければならない。
昨年のあまちゃんで舞台となっていた
三陸の久慈市まで、
最低でも車で2時間はかかる片道。
定時制の高校に通っていたあたしは、
毎週末これを欠かしたことはなかった。
夏はもちろん、雪の降る真冬でも、
ツルツルに凍った峠道を
通行止めなどの規制がかからない限り通っていた。
サーフィンが楽しかったのはもちろんのこと、
ローカルのサーファー仲間もできて
彼らに会いに行くと言うモチベーションが
毎週末のロングドライブも可能にしていた。
あたしの大切な青春の1つでもある。
2011年3月11日。
日本史上歴史に残る未曽有の大災害があったとき、
あたしは自分のお店や仕事でいっぱいいっぱいだった、
と言う体のいい言い訳で見て見ぬフリをし、
ボランティアで人手を必要としていたのを
ネットで見て知っていたにも関わらず、
ずっと、ずっと行く事ができなかった。
目の前の人も幸せにできない人間が
1人で行ったところで何ができる?
自分のことさえ何もできていない人間が
1人で行ったところで何ができる?
「繋がろう日本」なんて
誰かを助けることで自分の心を満たそうとする
ネット上で偉そうに宣う声。
押し付けがましいエゴみたいなもの全てに
共感どころか嫌悪感さえ抱いていた。
でも本当のところは、
自分の目で被災地を見ることが、
単純に怖かっただけなのかもしれない。
記憶の中で変わらずにあるあの風景が、
どんな被害を受け、変わってしまったか。
想像するだけで吐き気がした。
連日のテレビやニュースで知らされる
どんな恐怖映画よりも恐ろしい映像から、
目を背けることでしか自分を保つことができなかった。
それでもいつも心の片隅には北三陸の海があって、
そのわずかな引っかかりが
途方もない自己嫌悪と身勝手なストレスで
自分の首をジワジワと真綿を絞めるように苦しめていた。
心臓のような都会の大動脈から、
新幹線で盛岡まで2時間30分。
毛細血管の先の先へ、
盛岡から沿岸まで車で2時間。
宮古から久慈までの海岸線を
友達の運転でぐるっと回る。
曇り空から時折晴れ間が見えるくらい風が強く、
分厚い雲が流動的に絶えず変化していた。
10年ぶりのそこは色んなものが変わっていて、
でも見方によっては
最初からそうだったようにも見えるので、
何が、どう、と説明することも難しいくらいだった。
それでも当時の記憶と照らし合わせながら
答え合わせをするように一つ一つを確かめて、
しっかりと目に焼き付けたかった。
ところどころ爪痕を感じる箇所もあり、
防波堤が壊れたままになっている場所や、
野ざらしになってしまった広大な土地。
工事車両が多く、通行止めになっていたり、
回り道を余儀なくされるような場所もあった。
だけどそれ以外は、
想像していたよりも普通だった。
いや、その「普通」になるまでの苦労や、
まだまだその「普通」になれていない被災地があること、
不謹慎であろうことは承知の上で書きます。
そのとき一番思ったのは、人間の逞しさや強さ。
そして自然の雄大さ。
それを改めて感じた。
たった3年でここまでなるんだと思った。
あたしなんかが心配しているよりも、
ずっとずっと逞しく人は生きていた。
「この辺はようやく瓦礫が撤去されたから
それだけでだいぶ見栄えは変わったんだ。」
そう言いながら車を走らせてくれた友達。
瞬間的なものなのかもしれない。
今だけの感情なのかもしれない。
それでも色んな想いが交差しながら、
思考はぐるぐる、気がつけば一周して
当時否定していたことまで肯定したくなるような
不思議な感情が心の中で芽生えた。
”天地は一つ
故に我は無限”
自然に人は勝てない、なんてよく人は言うけど、
自然はそもそも人に勝とうとも負けようとも
そんなことは考えるはずもなく、
ただ、そこに、悠然として存在している。
言葉にすることはとても難しいけど、
海、空、空気、山、人、動物、虫、車、家、
瞬間的に全てが奇跡のバランスで成り立っていて、
その圧倒的なパワーを前に自分の矮小さを悟り、
人は人として、人の側にいることで
初めて人としての存在意義を見いだし、
そして人を全うするのだと思う。
どんなときも、
仮に分かり合えない存在同士だとしても、
人は人の側にいなければいけないんだ。
そこから逃げることは、
人を、自分を否定することに繋がり、
ひいては存在する全てを否定することになるんだ。
人は一人になんかなれない。
一人になるときは死ぬときだけだ。
いや、例え死んだとしても、
還って行くところは1つだけなんだ。
思考も感情も欲望も、
善も悪も正義も不義も、
全ては表裏一体。
ぐるっと一回りしてみたら、
それらは全て一つなんだ。
怒りも悲しみも喜びも楽しみも、
ぐるぐる一つの円を周り続けているだけの
たったそれだけのことなんだ。
今のあたしの悩みも苦しみも、
全ては喜びや幸せと同じ円の中にあって、
だからこそそれは、
「答え」なんかを求めるものではなくて
それはそれとして受け入れるしかないんだ。
今のあたしなら、
きっと当時「繋がろう」と声高に叫んでいた
エゴの固まりみたいな人間の気持ちも分かる気がする。
あのとき、
あたしに憤りを感じたあの人の気持ちも。
全てが、全てに、
感謝の気持ちを。
気がついてみれば、
こんなに簡単なことだったんだなぁ。。
あたしの為に集まってくれた仲間と
久しぶりに朝まで飲み明かしたり、
親戚の家に泊まり祖母のお墓参りをしたり、
ウニ丼をたらふく食べたり、
懐かしい田舎の空気にすっかり酔っ払ってしまった。
二日酔いで頭がぐるぐる回っているけど、
そろそろ帰ろう。
短かったけど、
やっぱり来てよかった。
いつかまた自分を見失いそうになったときは、
何度でもここに戻って来ればいい。
それまでは大切な人からもらった言葉を胸に、
しっかりと歩いて行こう。
なんかケータイがよく鳴るなと思っていたけど、
気がついてみれば今日はあたしの誕生日だった。
「自分の大切な人生を
しっかりと生きてほしいと願っています。」
2014年05月13日
旅。
仕事を辞めて早3ヶ月半。
人生において最も非生産的な時間が
ただゆっくりと流れて行く。
先日、あたしにとって
とても大切な友達が旅に出た。
あたしが仕事を辞めたのは
仕事が不満と言うわけではなく、
日々の現実に追われ心身共に疲弊して
くたびれて行く自分が嫌だったから。
お金の為に選んだ仕事ではなかった、
と言う自尊心と、
どこから湧いて来るのかわからない
根拠のない自信だけが支えだったあたしにとって、
現実の壁はあまりにも高く険しく、
大人のような体のいい言い訳を残して
子供のようにその場から逃げ出した。
一体いつから歩き続けているのか、
もう何年も彷徨い続けているような気もする。
ぐるぐると同じような場所を徘徊している間、
背中に背負った「何か」は、
どんどんと重さを増し続け体力はもう限界寸前。
それでも歩くことを止められずにいる。
仕事がないならないで、
毎日にハリがないと言うか。
ずっとそれを望んでいたようにも思うけど、
いざそうなってみると落ち着かないと言うか。
今のゆるい感じは、
それはそれで幸せを感じるのだけど、
時折、
自分が社会にまるで貢献していないのを思い出して
まるでこの世に存在していない亡霊のような気分になって
すごくすごく怖くなる。
死んだように生きるのがイヤで
仕事を辞めたはずなのに、矛盾しているね。
フリーター生活と言うぬるま湯の中、
感じるのは責任感から逃避した自己嫌悪。
自由を実感したのはほんの一瞬で、
真剣に何かをしようとする時に付きまとう
後戻りできなくなる恐怖を感じるようになった。
若さと言う名の勢いだけが取り柄だったのに、
今ではものの見事に廃れ切ってしまった。
そして時間が経つにつれ確実に減って行く選択肢。
このままではいけないと思いながらも
それでも流され続ける毎日。
サバゲだけがあたしの救いだった。
サバゲはまさにあたしにとって、
生きてることを実感できる瞬間だった。
それと同時に、
非現実的な自己陶酔によって
日常を完全に忘れられる環境でもあった。
友達と一緒に始めた趣味だから、
最初から友達がいて成り立っていたのだけど、
同じ趣味を持つたくさんの仲間とも知り合った。
仲間が増えるにつれ色んなことを教わり、
そして色んなことをお互いに話すようになった。
サバゲ以外でも遊ぶようになったし、
まさに公私共に「大切な友達」と
呼べるようになった人がいる。
大人になってからできる友達なんて珍しくて、
最初はどことなく遠慮しがちだった仲も
徐々に距離が縮まって行ったりして、
いつしかそんなサバゲ仲間はあたしにとって
なくてはならないものになっていた。
今の生活も、
もっとそれらを中心に考えたかったからであって、
それすら否定されると
あたしは文字通り存在理由をなくしてしまうくらいだ。
それくらい大切な友達と会えなくなるのなら、
サバゲを続ける大きな理由は正直ないくらい
今では比重が大きく変わってしまった。
いや、最初からあたしはそうだったのかもしれない。
サバゲをすることにあまり意味はなくて、
友達と一緒に遊べることの方が重要だった。
仕事、生活、仲間、サバゲ、
これらをうまく一つにする方法を色々考えた。
みんなが幸せになれるんじゃないかと思って、
ない頭を使って、たくさんたくさん考えた。
幸い時間だけはあったけど、
それでもいくら考えても答えは出なかった。
答えなんか始めからなかったんだって、
ただ考える時間があるだけでようは暇だったんだって、
それはそれで達観した答えみたいなものはあったけど。
逆に別の疑問はどんどんと湧いて出て来た。
決して理解し合うことのできない生き物でありながら、
なぜ人は一つになろうとするのかな。
友達同士、会社の同僚、先輩、上司、部下、
異性、恋人、親や家族、全ての人間関係。
誰もが悩みながら、頭を掻きむしりながら、
傷つけて、傷つけられて、倒れても倒れても、
立ち上がり歩き続けている。
それが人の生きる道で、喜びも悲しみも包括して、
それすらも一つであると言うのなら、
この世の中は矛盾だらけで混沌としていて、
それでいてなんて残酷で救いがないのだろうと思う。
自尊心と協調性が同居する心の中で、
我を押し通すことの無意味さと人の性を知りながらも
それでも抑えられない衝動はどこから湧いて来るのか。
大切な人だからこそ向き合い、ぶつかり、傷つけ合って、
自己中心的な自己嫌悪で迷惑と心配をかけては、
愛と言うよく分からない幻想に逃避したがる。
あたしが自分に正直に生きると言うことは、
結局誰かを傷つけてしまうと言うことなのか。
全てを尊い、全てに感謝し、全てを尊重できる心を、
全ての人が持ち得ることは不可能なのか。
結局答えは今日も出ないまま、
また、先延ばし。
考えてみればあたしは、物心付いてから
ずっとこんなことを考えているような気がする。
ぐるぐると同じような場所を彷徨って、
結局は背中に背負った「何か」が時と共に
どんどんと重くなって来てると言う事にただ気がつくだけ。
いくら考えたって、
行き着くのはたったそれだけのこと。
休むことは許されない。
旅に出たって、きっと何も変わらない。
答えなんか見つからない。
時間は戻らないし、
死ぬ勇気もない。
一人になって考えても、
結局最後には開き直ることしか許されていない。
それでも少しの間、ほんのひと時、
あたしも旅に出ようと思います。
自分探しなんかじゃない。
生活に焦りがないわけでもない。
それでも時間に頼ってみるしか、
今は思いつかないから。
あの人がいないサバゲなんて
あたしには何の意味も持たないから。
人生において最も非生産的な時間が
ただゆっくりと流れて行く。
先日、あたしにとって
とても大切な友達が旅に出た。
あたしが仕事を辞めたのは
仕事が不満と言うわけではなく、
日々の現実に追われ心身共に疲弊して
くたびれて行く自分が嫌だったから。
お金の為に選んだ仕事ではなかった、
と言う自尊心と、
どこから湧いて来るのかわからない
根拠のない自信だけが支えだったあたしにとって、
現実の壁はあまりにも高く険しく、
大人のような体のいい言い訳を残して
子供のようにその場から逃げ出した。
一体いつから歩き続けているのか、
もう何年も彷徨い続けているような気もする。
ぐるぐると同じような場所を徘徊している間、
背中に背負った「何か」は、
どんどんと重さを増し続け体力はもう限界寸前。
それでも歩くことを止められずにいる。
仕事がないならないで、
毎日にハリがないと言うか。
ずっとそれを望んでいたようにも思うけど、
いざそうなってみると落ち着かないと言うか。
今のゆるい感じは、
それはそれで幸せを感じるのだけど、
時折、
自分が社会にまるで貢献していないのを思い出して
まるでこの世に存在していない亡霊のような気分になって
すごくすごく怖くなる。
死んだように生きるのがイヤで
仕事を辞めたはずなのに、矛盾しているね。
フリーター生活と言うぬるま湯の中、
感じるのは責任感から逃避した自己嫌悪。
自由を実感したのはほんの一瞬で、
真剣に何かをしようとする時に付きまとう
後戻りできなくなる恐怖を感じるようになった。
若さと言う名の勢いだけが取り柄だったのに、
今ではものの見事に廃れ切ってしまった。
そして時間が経つにつれ確実に減って行く選択肢。
このままではいけないと思いながらも
それでも流され続ける毎日。
サバゲだけがあたしの救いだった。
サバゲはまさにあたしにとって、
生きてることを実感できる瞬間だった。
それと同時に、
非現実的な自己陶酔によって
日常を完全に忘れられる環境でもあった。
友達と一緒に始めた趣味だから、
最初から友達がいて成り立っていたのだけど、
同じ趣味を持つたくさんの仲間とも知り合った。
仲間が増えるにつれ色んなことを教わり、
そして色んなことをお互いに話すようになった。
サバゲ以外でも遊ぶようになったし、
まさに公私共に「大切な友達」と
呼べるようになった人がいる。
大人になってからできる友達なんて珍しくて、
最初はどことなく遠慮しがちだった仲も
徐々に距離が縮まって行ったりして、
いつしかそんなサバゲ仲間はあたしにとって
なくてはならないものになっていた。
今の生活も、
もっとそれらを中心に考えたかったからであって、
それすら否定されると
あたしは文字通り存在理由をなくしてしまうくらいだ。
それくらい大切な友達と会えなくなるのなら、
サバゲを続ける大きな理由は正直ないくらい
今では比重が大きく変わってしまった。
いや、最初からあたしはそうだったのかもしれない。
サバゲをすることにあまり意味はなくて、
友達と一緒に遊べることの方が重要だった。
仕事、生活、仲間、サバゲ、
これらをうまく一つにする方法を色々考えた。
みんなが幸せになれるんじゃないかと思って、
ない頭を使って、たくさんたくさん考えた。
幸い時間だけはあったけど、
それでもいくら考えても答えは出なかった。
答えなんか始めからなかったんだって、
ただ考える時間があるだけでようは暇だったんだって、
それはそれで達観した答えみたいなものはあったけど。
逆に別の疑問はどんどんと湧いて出て来た。
決して理解し合うことのできない生き物でありながら、
なぜ人は一つになろうとするのかな。
友達同士、会社の同僚、先輩、上司、部下、
異性、恋人、親や家族、全ての人間関係。
誰もが悩みながら、頭を掻きむしりながら、
傷つけて、傷つけられて、倒れても倒れても、
立ち上がり歩き続けている。
それが人の生きる道で、喜びも悲しみも包括して、
それすらも一つであると言うのなら、
この世の中は矛盾だらけで混沌としていて、
それでいてなんて残酷で救いがないのだろうと思う。
自尊心と協調性が同居する心の中で、
我を押し通すことの無意味さと人の性を知りながらも
それでも抑えられない衝動はどこから湧いて来るのか。
大切な人だからこそ向き合い、ぶつかり、傷つけ合って、
自己中心的な自己嫌悪で迷惑と心配をかけては、
愛と言うよく分からない幻想に逃避したがる。
あたしが自分に正直に生きると言うことは、
結局誰かを傷つけてしまうと言うことなのか。
全てを尊い、全てに感謝し、全てを尊重できる心を、
全ての人が持ち得ることは不可能なのか。
結局答えは今日も出ないまま、
また、先延ばし。
考えてみればあたしは、物心付いてから
ずっとこんなことを考えているような気がする。
ぐるぐると同じような場所を彷徨って、
結局は背中に背負った「何か」が時と共に
どんどんと重くなって来てると言う事にただ気がつくだけ。
いくら考えたって、
行き着くのはたったそれだけのこと。
休むことは許されない。
旅に出たって、きっと何も変わらない。
答えなんか見つからない。
時間は戻らないし、
死ぬ勇気もない。
一人になって考えても、
結局最後には開き直ることしか許されていない。
それでも少しの間、ほんのひと時、
あたしも旅に出ようと思います。
自分探しなんかじゃない。
生活に焦りがないわけでもない。
それでも時間に頼ってみるしか、
今は思いつかないから。
あの人がいないサバゲなんて
あたしには何の意味も持たないから。
2014年05月05日
2014年04月27日
2014年04月20日
ユニオンフェスティバル
AYUMIです(・ε・)
友好チームの130Rさんが
こちらでフリマをすると言うことに便乗して、
ここ3年で買い漁ったサバゲ道具の余り物などを
一挙に処分&お金にしてしまおうと言う事で、
あたし、おがちん、優午さんと一緒に
130Rさんのフリマスペースにお邪魔させて頂きました
個人的に持って行ったものは、
壊れたレプリカのドットサイトやホロサイト等や、
帽子、ポーチ類、小物、
そして目玉としてL85を出しました。
朝から値札を貼ったり商品を広げたり、
準備に追われている段階から
予想外にお客さんはたくさんいらっしゃいました
最初はこんなん売れるのかなー?
なんて思ってた物から、
意外や意外にどんどん売れて行きます。
ゲームが終わるたびに覗きに来る常連さんもできたり、
フリマ初心者でしたが面白い体験ができました
ユニオンフェスティバルって、
確か2回目とかだったかな?
人がとにかく多かったけど、
ベース、ヘッドショット、新しくできたMETの
3つのフィールドを使って、
人数が偏らないようにうまく回してゲームしていたのには
とても感心しました。
スタッフも皆さん優秀ですよね。
さすがユニオン。
今回はG&Gの社長とか来ていて、
のぶじさんのテンションもMAXでしたw
ただ、勢いが良かったのは前半だけで、
後半になると売れ残りが目立ち
お客さんの興味も薄れて離れがちでした。。
なのでとにかく寒かったですね
売り物の商品を着て宣伝・・・ではなく、
ゲームしたくてウズウズしていたおがちん。
ゲームが終わると、
あっという間に撤収。
あれだけ人がいたのが嘘みたいに
撤収の早さもさすがユニオンクオリティ
最後に残った怪しい集団で
それぞれの売り上げ金の分配が行われ、
長かった1日が終わりました。
寒くなければもう少しよかったけど、
色んな人とコミュニケーションとったり、
みんなと営業してるときは楽しかったです
L85は結局売れませんでした
残念!!
130Rの皆さん、
お買い上げ頂いたお客様、
ありがとうございました!!
友好チームの130Rさんが
こちらでフリマをすると言うことに便乗して、
ここ3年で買い漁ったサバゲ道具の余り物などを
一挙に処分&お金にしてしまおうと言う事で、
あたし、おがちん、優午さんと一緒に
130Rさんのフリマスペースにお邪魔させて頂きました
個人的に持って行ったものは、
壊れたレプリカのドットサイトやホロサイト等や、
帽子、ポーチ類、小物、
そして目玉としてL85を出しました。
朝から値札を貼ったり商品を広げたり、
準備に追われている段階から
予想外にお客さんはたくさんいらっしゃいました
最初はこんなん売れるのかなー?
なんて思ってた物から、
意外や意外にどんどん売れて行きます。
ゲームが終わるたびに覗きに来る常連さんもできたり、
フリマ初心者でしたが面白い体験ができました
ユニオンフェスティバルって、
確か2回目とかだったかな?
人がとにかく多かったけど、
ベース、ヘッドショット、新しくできたMETの
3つのフィールドを使って、
人数が偏らないようにうまく回してゲームしていたのには
とても感心しました。
スタッフも皆さん優秀ですよね。
さすがユニオン。
今回はG&Gの社長とか来ていて、
のぶじさんのテンションもMAXでしたw
ただ、勢いが良かったのは前半だけで、
後半になると売れ残りが目立ち
お客さんの興味も薄れて離れがちでした。。
なのでとにかく寒かったですね
売り物の商品を着て宣伝・・・ではなく、
ゲームしたくてウズウズしていたおがちん。
ゲームが終わると、
あっという間に撤収。
あれだけ人がいたのが嘘みたいに
撤収の早さもさすがユニオンクオリティ
最後に残った怪しい集団で
それぞれの売り上げ金の分配が行われ、
長かった1日が終わりました。
寒くなければもう少しよかったけど、
色んな人とコミュニケーションとったり、
みんなと営業してるときは楽しかったです
L85は結局売れませんでした
残念!!
130Rの皆さん、
お買い上げ頂いたお客様、
ありがとうございました!!